vol.1産地との「わ」

淡路島に息づく
原生種の柑橘を求めて

旅する人

亀井堂總本店 五代目見習い 松井 隆昌

亀井堂總本店 五代目見習い

1986年生まれ。大学卒業後、食品流通業界を経て、フランス・コルドンブルーにて製菓を学ぶ。2014年より五代目見習いとして日々精進中。

つくり手

若宮みかん農園 若宮 公平さん

若宮みかん農園

公務員を早期退職し、祖父の代から続く洲本市由良のミカン園を守る3代目。淡路島なるとオレンジの樹の所有数は島内でも最多です。


江戸時代から続く物語を宿す
「幻のオレンジ」とは?

約300年近く前、まだ淡路島が徳島藩領だった頃からこの地で生育してきたといわれる「淡路島なるとオレンジ」。柑橘類では数少ない、他の品種と交配していない在来種のひとつで、その香り高さと甘酸っぱいジューシーさは、かつての藩主も「天下無比」と絶賛したほど。しかし今では市場にほとんど流通していないことから、知る人ぞ知る果物となっています。そんな「幻のオレンジ」の古木を所有する果樹園があると聞き、私たちは明石海峡を渡って島を訪ねました。

松井
若宮さんのところには、「淡路島なるとオレンジ」の古木があるそうですね。
若宮
樹齢100年以上のものが30本ぐらい、150年以上のものが5~6本あるかな。古いものは祖父がこの土地を買い取った時から、すでに植わっていたようです。この由良というまちは、江戸時代に徳島藩の城があったところで、ここも侍の屋敷に植えられていたものが残っていたんでしょう。昔、父と開墾で土を掘ってたら、そこら辺から壺やなんかしょっちゅう出てきましたよ。
松井
150年というと、亀井堂の歴史と同じぐらいですから、親近感を感じますね。それにしても、こんなに鈴なりに実がなるとは、びっくりです。
若宮
だから収穫が大変で……。この柑橘は5月に花が咲いて実をつけてから、丸1年樹上で熟して、やっと翌年から収穫できるんです。だから台風や寒波の影響も受けやすいし、育てるのはなかなかむずかしいな。
松井
今は市場にほとんど流通していないとか……。
若宮
昭和30年代には東京や大阪にも出荷して、よう売れたんやけどね。酸っぱくてちょっとほろ苦さがあって、今でも60~70代ぐらいの人の中には「これを食べないと夏が越せない」という人もいます。

島の風土と響き合う、
野性味あふれる生命力

若宮
(ひとつ実をとって皮をむきながら)どうぞ、食べてみてください。
松井
香り立ちが強くて後味もインパクトがあって、原生種だからなのか、加工しても存在感がしっかり残りそうですね。ほかの柑橘にはない魅力を感じます。
若宮
皮を使う用途なら2~3月から収穫できますが、果肉が食べ頃になるのはだいたい5月から。8月まで収穫できるんやけど、お盆ぐらいになったら、実の中にある種が発芽して皮がボコボコしてくるんです。だから実が落ちた地面には気づいたら10本ぐらい若芽が吹き出してて……。そんな柑橘めずらしいですよ。
松井
すごい生命力ですね!
若宮
ここらの「和泉砂岩」っていう土壌に合ってるんかな。樹勢が強くて、放っとくとすぐに二連梯子でも届かんぐらい高く伸びてしまうから、剪定で高くなりすぎないようにするんです。ふつうのミカンはここまで樹勢強くないし、やっぱりちょっと変わった柑橘ですよ。

土地に根ざした原生種の味を、
神戸のセンスでアレンジして
発信したい

そもそも「鳴門みかん」「ナルトオレンジ」などさまざまに呼ばれていたこの柑橘の名称が、「淡路島なるとオレンジ」に統一されたのは2018年夏のこと。昭和40年代後半以降、酸っぱい果物が敬遠される風潮や、オレンジ輸入自由化の影響もあって生産量は激減しましたが、近年再び在来種が見直されるようになり、この幻のオレンジを淡路島の特産品として売り出していく動きも始まっています。現在は、少量ながら生食用のほかに、お菓子やジャム、ジュース、ポン酢などの加工用にも出荷されているとか。

若宮
私らが子どもの頃は、淡路島は「花とミルクとオレンジの島」と言われたぐらいでね。うちにも親父が植えた樹齢50~60年ぐらいの樹がようけあります。私は59歳まで公務員してたのを、早期退職してミカン農家になったんです。それまでは休みの日に農作業手伝うぐらいやったから、何するにも見よう見まねやけど、せっかく祖父の代から続いてきたもんやからね。
松井
亀井堂が創業した当時の神戸は、国内外からいいものが集まる拠点でしたから、私たちはそんな神戸の歴史に立ち返って、いろんな土地の知られざるいいものに光を当てていけたらと思っているんです。
若宮
ひとりでも多くの人が味わって、知ってくれたらうれしいですね。